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jacquelinege

被災したイタリア人ガンバレさんの想い

知り合いのイタリア人の方で、
ちょうど大地震が起きた際に、
仙台に着いたばかりだった、という人たちがいます。

仕事の関係で日本を訪れたということもありますが、
日本での滞在中に彼と奥さまは、
結婚40周年のルビー婚を迎え、その記念にもなる旅でした。


彼らの日本滞在は初めてではなく、
すでにやはり仕事で何回か訪れてますし、
長期滞在(6ヶ月強)もしています。

そして、日本びいきの人です。
ご自身でも
「僕、日本人には弱いんだよね~。」
と言っているほどです。

今回の旅も前々から非常に楽しみにしていて、
出発前に、「日本の夕べ」と称して、
お宅での夕食会にも招待されました。
(日本食はありませんでしたが、“日本”について話す夕べという意味です。)




3月11日(金)

13時半、仙台駅付近のホテルに到着して、チェックインし、
7階の部屋でくつろいでいた際に地震が起こりました。

日本の滞在は初めてではないので、
(以前にも多少の地震を経験していたため、)
すぐに収まると思っていましたが、収まらす、
立っていられなくなるほど大きくなったので、
こういう時に取る行動、
つまり、机の下に避難し、揺れが収まるのを待ちました。

ようやく、部屋から出られるぐらいに収まると、
ホテルの従業員の方たちや他の滞在客の日本人の方たちが、
状況に不慣れな外国人客と認識したのか、
非常通路を指図、案内してくれ、特に戸惑うこともなく、
避難・集合場所の駐車場に出ることができました。
そして、すぐに、毛布やカイロ、傘、温かい飲み物が配れました。
日本人は、こういう点でもとても有能だと感じました。
ただ、この時、薄着で、パスポートも部屋に置いて来たのが、
少々心もとなかったのですが、
約30分後に、従業員の方がひとりで部屋に上がって、
ジャケットと奥さんのブーツを持ってきてくれました。

しばらくして、雪が降り出し、
また、少し地震の揺れも少しゆるやかになったので、
ホテルのホールには入ることができましたが、
地震で火災時用のスプリンクラーが作動したのか、
それとも水道管が破裂したのか、
天井から水が滴っていました。
そこで、指示が出るまで何時間か待機していましたが、
夕刻になって、一番安全なのでという説明で、
ある地下鉄の駅にみんなで移動を。
万全な体制の世話のもと、そこで一夜を過ごしました。

移動中に目にした景色は、すべてが全く落ち着いているように見え、
精巧な耐震性建築の建物のおかげで、
いくらかガラスが割れている建物を見かけるぐらいでした。
約100万人の都市で、ごくわずかな往来のみというのは不思議な感覚でしたが、
それ以外は、すべて通常の生活に戻っているかのようでした。


在東京のイタリア大使館と連絡は取り合っていたものの、
電車は動かず、高速道路も空港も使えないということで、
もう一夜を地下鉄の駅から移動し、避難所で過ごすことになりました。

そして日曜日の朝、
避難所で一緒だった周囲の日本人の方や
他の外国人の方たちとグループを組み、
あるタクシー会社を呼んでタクシーに乗ることができ、
まずは空港から東京便に乗るべく、山形へ出ました。
が、3日以内にはフライトは出ないとのことで、
別のタクシーに乗り、新潟へ。
そして、新潟から、新幹線で東京へ向かい、空港へ。
空港でまた一夜を過ごし、月曜日の夜、ジェノヴァに戻りました。

仙台にいるときには電気がなかったため、
津波で実際に何が起こったのかろ目にしたのは、イタリアに戻ってからでした。
現地でわかった情報は言葉の関係で間接的なもので、
同じ被災者グループの中にいた英語を話す日本人女性(70代)の通訳が頼りでしたが、
戻ってからイタリア語で知った情報との大きな差異は感じませんでした。


イタリアのメディアのインタビューは3月16日前後のもので、
日本で報道される以上に、ニュースは原子力発電所の問題に集中し始めていましたが、
ガンバレさんは、あえてそれ以外のポジティブな面にも焦点を当てるべく、
非常時でも整然と列を作ったり、配給を受け取る際の日本人の落ち着き、
毛布など必需品がすぐに配布される用意周到な点、
有事でも人に対する親切な対応、
二晩を明かした地下鉄の通路と
約千人が避難していた小学校の体育館の清掃状況のすばらしさを語っています。


科学系研究者という立場から考えることとして、
日本の耐震性建築が地震時にも大きな被害を出さないような予防策になっていることや、
反対に、技術への過信、
例えば古い原子力発電の使用を続けるこかどうかを振り返ってみる必要があること、
今回の大災害では津波による被害がひどかったということで、
これまで以上に対策に投資する必要があること、
新幹線は事が起きて数秒でただちに止まったことで、
大地震の最中に事故を起こすことがなかったことなどをあげています。


また、各インタビューでは語られていないことですが、
イラストが得意なガンバレさんは、
(科学系の絵本や執筆のイラストも自画だそうですが)
避難所で仲間のイラストを描いて、和ませたり、
イタリアから持参していた手持ちのドルチェを周囲の人と分け合ったり、
ジェノヴァに戻ってきてからは、
そこで出会った人たちに連絡したり、
(わたしは一部メールの翻訳を手伝いました)
日本で体験した地震のことや日本人の対応なども含め、
公のセミナーやコンフェレンスで発表しています。


インタビューを観たり、読んだりしたわたしが、
「差し支えなければ、ブログで紹介したいのですが・・・」
と申し出たところ、
ぜひ、日本の方へ自分の共鳴する気持ちを伝えてくれれば嬉しいとのことでしたので、
紹介させていただきました。


今回、不意な大災害で日本で行うべきはずだったセミナーを行えず、
イタリアに帰国したことが、胸のつかえとして残っているとのことで、
再度、日本に行くことができる日を心待ちにしているそうです。


以下、イタリア語によるメディアのフランコ・ガンバレさんへのインタビューです。
(前述の文は、複数のインタビューを一部翻訳したものと、
 直接、ご本人から聞いた内容を元に記載しています。)



TG La 7 (音に注意)
(基本的に同じインタビューですが、先に消える場合も加味して複数リンクを載せます)
http://www.la7.it/invasionibarbariche/pvideo-stream?id=i395158




Primo canale TG 2011.03.16 (音に注意)
http://www.primocanale.it/elencotg.php?id=0&servizio=2967&d=20110316





【追記】(2011.04.05)「ガンバレ」に関する考察

ガンバレさんのガンバレは苗字ですが、
日本語の「頑張れ」に似ていると、
日本の人にはやはりよく言われることもあり、
日本語での意味をすでにご存知でした。


老婆心ながら付け加えますと、
個人的には、(今の状況に限らず)
疲れている人や弱っている人に、
「頑張れ」「頑張って」と言うのは、気になる方で、
「頑張らないように(頑張り過ぎないように)、頑張って(努めて/気を抜いて)」
と思う方です。
「頑張れる」人に、言うのは問題ないのですが。


ガンバレさんの苗字は、Gambaleと書きますが、
イタリア語の多くの単語は、
後ろから2つめの母音にアクセントがあり、
こういう場合は日本語で言うとこの母音が伸ばす音になります。
(つまり、ガンバーレという方がより近いです)


さて、gambale(ガンバーレ)(男性名詞・単数)の意味としては、
1.長靴の胴 2.革製のゲートル 3.長靴を作るための木型 
と、辞書には出ていますが、
普通に長靴やブーツを指して言うこともあるそうです。
(この辺では、一般的に使うのは聞いたことがありませんが)


長靴、ブーツという意味でよく使うのは、
stivale(スティヴァーレ)(男性名詞・単数)になりますが、
英語学習時にもよく習うことと同様で、
こういった靴の類は、対で使うことが通常前提なので、
このような単数形で耳にすることはあまりありません。
複数形で言うのが普通です。
(右足用の靴を無くした、とか言いたい場合には、単数形ですが)

例:un paio di stivali (ウン パイオ ディ スティヴァーリ)ブーツ1足

  due paia di stivali (ドゥエ パイア ディ スティヴァーリ)ブーツ2足


日本語では、ブーツと長靴はものによって別の単語になりますが、
イタリア語では、どちらの意味でも使えます。
ただ、ややこしいので、
雨用の長靴であることを明らかにして言いたい場合は、

stivali da pioggia (スティヴァーリ ダ ピオッジャ)

になります。


ちなみに、ガンバレさんの同僚のひとりは、
言葉遊びで「スティヴァーレ」と呼ぶそうです。





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jacquelinege
Posted byjacquelinege

Comments 6

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美香  

No title

貴重なお話を聞けて感激です。
被災時に仙台にいて、日本が嫌いになってしまったイタリアの方もいらっしゃると聞いて、胸を傷めておりました。
この方のように、良い面を見て下さったイタリアの方もいらっしゃることが嬉しいです。
ポチポチ☆

2011/04/06 (Wed) 02:42

mek*pos*  

No title

ガンバレさんは大変な時に仙台にいたのですね。
ニュースよりリアリティのある外国の方の貴重なお話です。
何よりも無事にイタリアに帰国できた事がとても良かったです!

2011/04/06 (Wed) 08:14

regina  

No title

こんばんは、ご無沙汰しています<m(__)m>
大地震からちょうど一ヶ月経った、正にまた今日、大きな地震があり、ちょうどイタリア語の授業中で先生たちと非常口に出ていました
地元では小さかったのですが、ビルの上階の方だとやはり揺れますね

最初から最後までリンクも見させていただきました
当日にお知り合いの方が仙台にいらしたのですね
イタリア語の先生の知人も仙台にいたようで、またある知人は神奈川に住んでいるのですが、前日の10日に子供が生まれて、マンマがイタリアから11日の朝に到着して午後に地震、慣れている私たちでもあの揺れは本当に怖かったといいます
Jacquelineさんのお知り合いの方が、大変な思いをされたようですが本当にご無事で何よりですね
そして、私の知人を含め、日本が嫌いになった方も多い中、再び落ち着いたらいらしたいとのことで嬉しく思います
一日も早く、再生と復興を願うばかりです

2011/04/12 (Tue) 00:28

Jacqueline_ge  

No title

美香さん♪またお返事が遅くなってごめんなさいです。
他のイタリア人の方で、被災して日本が嫌いになった方もいるんですね。。。天災に関しては日本人にも責任が持てないので、悲しいですね。
旅行者以外の外国人で、一時的に日本を離れた人もけっこういたとのことですが、離れていない外国人の人で、自国から見ている人たちに、日本の状況は他国で報道されているほど緊迫してはいないと説明している人もいましたよ。
日本が本当に好きな人は、このことだけが原因で嫌いになることはないと思います。わたしの周囲には他にも日本に行きたい人がけっこういますが、日本をより知ってもらって、今以上に好きになれるように色々伝えていきたいと思っています。
ポチポチっとありがとうございます!

2011/04/18 (Mon) 17:55

Jacqueline_ge  

No title

めかぽしさん♪お返事遅くなってごめんなさいです。
まさに、最初の地震が起こる約1時間前の到着でしたね。
泊まれなくなってしまったホテルの方が、イタリアに戻った後も電話をしてきてくれたそうで、そういう気遣いのある対応についても、
すばらしいと言っていましたよ。
今、この地震での体験を本として執筆しているそうです。

2011/04/18 (Mon) 18:02

Jacqueline_ge  

No title

Reginaさん♪こちらこそまたご無沙汰しております。
まだまだ余震も続いていて、時々大きい時もあるので、心配ですね。
家族には最近では震度3・4度は頻繁に起こるので、慣れたと言われましたが、外出中に「日本でまた大きい地震があったみたいだよ」と言われると、すぐにはどのぐらいか確認できないのと、こちらで発表されるぐらいだから、普通の余震より大きいんだろうと予測され、不安になります。

Reginaさんのお知り合いの方のお母様も到着してわりとすぐに地震があったんですね。たしかに、慣れていないとそれはトラウマになるかもしれませんね。。。反対に、日本からの旅行者の方で、イタリアの大停電やストやその他の出来事で、イタリアが嫌いになったというケースも耳にしたことがあります。
幸い、わたしの周囲の日本好きの人や、日本好きとまで行かなくても日本に行きたいと思っている人たちは、状況が早く落ち着いて、日本に行ける日を心待ちにしている人が多いので、これからも日本について色々伝えていこうと思っています。

2011/04/18 (Mon) 18:17

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