被災したイタリア人ガンバレさんの想い
ちょうど大地震が起きた際に、
仙台に着いたばかりだった、という人たちがいます。
日本での滞在中に彼と奥さまは、
結婚40周年のルビー婚を迎え、その記念にもなる旅でした。
すでにやはり仕事で何回か訪れてますし、
長期滞在(6ヶ月強)もしています。
ご自身でも
「僕、日本人には弱いんだよね~。」
と言っているほどです。
出発前に、「日本の夕べ」と称して、
お宅での夕食会にも招待されました。
(日本食はありませんでしたが、“日本”について話す夕べという意味です。)
7階の部屋でくつろいでいた際に地震が起こりました。
(以前にも多少の地震を経験していたため、)
すぐに収まると思っていましたが、収まらす、
立っていられなくなるほど大きくなったので、
こういう時に取る行動、
つまり、机の下に避難し、揺れが収まるのを待ちました。
ホテルの従業員の方たちや他の滞在客の日本人の方たちが、
状況に不慣れな外国人客と認識したのか、
非常通路を指図、案内してくれ、特に戸惑うこともなく、
避難・集合場所の駐車場に出ることができました。
そして、すぐに、毛布やカイロ、傘、温かい飲み物が配れました。
日本人は、こういう点でもとても有能だと感じました。
ただ、この時、薄着で、パスポートも部屋に置いて来たのが、
少々心もとなかったのですが、
約30分後に、従業員の方がひとりで部屋に上がって、
ジャケットと奥さんのブーツを持ってきてくれました。
また、少し地震の揺れも少しゆるやかになったので、
ホテルのホールには入ることができましたが、
地震で火災時用のスプリンクラーが作動したのか、
それとも水道管が破裂したのか、
天井から水が滴っていました。
そこで、指示が出るまで何時間か待機していましたが、
夕刻になって、一番安全なのでという説明で、
ある地下鉄の駅にみんなで移動を。
万全な体制の世話のもと、そこで一夜を過ごしました。
精巧な耐震性建築の建物のおかげで、
いくらかガラスが割れている建物を見かけるぐらいでした。
約100万人の都市で、ごくわずかな往来のみというのは不思議な感覚でしたが、
それ以外は、すべて通常の生活に戻っているかのようでした。
電車は動かず、高速道路も空港も使えないということで、
もう一夜を地下鉄の駅から移動し、避難所で過ごすことになりました。
避難所で一緒だった周囲の日本人の方や
他の外国人の方たちとグループを組み、
あるタクシー会社を呼んでタクシーに乗ることができ、
まずは空港から東京便に乗るべく、山形へ出ました。
が、3日以内にはフライトは出ないとのことで、
別のタクシーに乗り、新潟へ。
そして、新潟から、新幹線で東京へ向かい、空港へ。
空港でまた一夜を過ごし、月曜日の夜、ジェノヴァに戻りました。
津波で実際に何が起こったのかろ目にしたのは、イタリアに戻ってからでした。
現地でわかった情報は言葉の関係で間接的なもので、
同じ被災者グループの中にいた英語を話す日本人女性(70代)の通訳が頼りでしたが、
戻ってからイタリア語で知った情報との大きな差異は感じませんでした。
日本で報道される以上に、ニュースは原子力発電所の問題に集中し始めていましたが、
ガンバレさんは、あえてそれ以外のポジティブな面にも焦点を当てるべく、
非常時でも整然と列を作ったり、配給を受け取る際の日本人の落ち着き、
毛布など必需品がすぐに配布される用意周到な点、
有事でも人に対する親切な対応、
二晩を明かした地下鉄の通路と
約千人が避難していた小学校の体育館の清掃状況のすばらしさを語っています。
日本の耐震性建築が地震時にも大きな被害を出さないような予防策になっていることや、
反対に、技術への過信、
例えば古い原子力発電の使用を続けるこかどうかを振り返ってみる必要があること、
今回の大災害では津波による被害がひどかったということで、
これまで以上に対策に投資する必要があること、
新幹線は事が起きて数秒でただちに止まったことで、
大地震の最中に事故を起こすことがなかったことなどをあげています。
イラストが得意なガンバレさんは、
(科学系の絵本や執筆のイラストも自画だそうですが)
避難所で仲間のイラストを描いて、和ませたり、
イタリアから持参していた手持ちのドルチェを周囲の人と分け合ったり、
ジェノヴァに戻ってきてからは、
そこで出会った人たちに連絡したり、
(わたしは一部メールの翻訳を手伝いました)
日本で体験した地震のことや日本人の対応なども含め、
公のセミナーやコンフェレンスで発表しています。
「差し支えなければ、ブログで紹介したいのですが・・・」
と申し出たところ、
ぜひ、日本の方へ自分の共鳴する気持ちを伝えてくれれば嬉しいとのことでしたので、
紹介させていただきました。
イタリアに帰国したことが、胸のつかえとして残っているとのことで、
再度、日本に行くことができる日を心待ちにしているそうです。
(前述の文は、複数のインタビューを一部翻訳したものと、
直接、ご本人から聞いた内容を元に記載しています。)
(基本的に同じインタビューですが、先に消える場合も加味して複数リンクを載せます)
http://www.la7.it/invasionibarbariche/pvideo-stream?id=i395158
http://www.genova24.it/2011/03/da-sendai-a-genova-lodissea-di-gambale-ricercatore-sopravvissuto-al-terremoto-9929
http://www.primocanale.it/elencotg.php?id=0&servizio=2967&d=20110316
日本語の「頑張れ」に似ていると、
日本の人にはやはりよく言われることもあり、
日本語での意味をすでにご存知でした。
個人的には、(今の状況に限らず)
疲れている人や弱っている人に、
「頑張れ」「頑張って」と言うのは、気になる方で、
「頑張らないように(頑張り過ぎないように)、頑張って(努めて/気を抜いて)」
と思う方です。
「頑張れる」人に、言うのは問題ないのですが。
イタリア語の多くの単語は、
後ろから2つめの母音にアクセントがあり、
こういう場合は日本語で言うとこの母音が伸ばす音になります。
(つまり、ガンバーレという方がより近いです)
1.長靴の胴 2.革製のゲートル 3.長靴を作るための木型
と、辞書には出ていますが、
普通に長靴やブーツを指して言うこともあるそうです。
(この辺では、一般的に使うのは聞いたことがありませんが)
stivale(スティヴァーレ)(男性名詞・単数)になりますが、
英語学習時にもよく習うことと同様で、
こういった靴の類は、対で使うことが通常前提なので、
このような単数形で耳にすることはあまりありません。
複数形で言うのが普通です。
(右足用の靴を無くした、とか言いたい場合には、単数形ですが)
イタリア語では、どちらの意味でも使えます。
ただ、ややこしいので、
雨用の長靴であることを明らかにして言いたい場合は、
言葉遊びで「スティヴァーレ」と呼ぶそうです。
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