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Solidarieta’ bis ! - 東日本大震災に対して – (2)

1からの続きです。)


Piccola/o grande rappresentante (小さいけど大きくなりうる窓口)



rappresentante (ラプレゼンタンテ) の1番目の意味としては、「代表者」になるけど、
会社の「営業職」や、各地に行く「特派員」、「駐在員」としても使われる単語。

普段、日本の外で生活する中で、
「日本人の代表として、日本人の印象がよくなるよう、好感が持たれるよう振舞おう!」とか、
「日本人として恥ずかしくないように」なんて、大それたことは考えていないし、
一般市民の自分が「日本人の代表」だなんておこがましい、と思うけど、
それを、「日本人・日本との窓口」と言いかえれば、理解しやすくなる。


直接なり、間接的になり、「日本人」を知っている人たちは、
この大災害について知った時、まったく日本人や日本と関りのない人に比べ、
このことをより身近に、深刻に感じ、心配し、胸を痛めただろう。
日本人や日本に関りのない人が衝撃を受けてはいないとは思わないが、
両者では受け止め方が異なるのではないだろうかと。


サン=テグジュペリの「星のおうじさま」の21章で、
おうじさまは1匹のキツネと出会う。
かなしいおうじさまはキツネに遊ばないかと誘うものの、
キツネは「飼いならされていない」から遊べないと言う。
キツネ曰く、「飼いならす」とは「仲よくなる」ことだと。

そして、キツネは続ける。

「(略)おれの目から見ると、あんたは、まだ、いまじゃ、ほかの十万もの男の子と、
べつに変わりない男の子なのさ。だから、おれは、あんたがいなくたっていいんだ。
あんたもやっぱり、おれがいなくたっていいんだ。あんたの目から見ると、おれは、
十万ものキツネと同じなんだ。だけど、あんたが、おれを飼いならすと、おれたちは、もう、
おたがいに、はなれちゃいられなくなるよ。あんたは、おれにとって、この世でたったひとりのひとになるし、
おれは、あんたにとって、かけがえのないものになるんだよ・・・・・・」

「(略)おれは、パンなんか食やしない。麦なんて、なんにもなりゃしない。だから麦ばたけなんか見たところで、
思い出すことって、なんにもありゃしないよ。それどころか、おれはあれを見ると、気がふさぐんだ。
だけど、あんたのその金色の髪は美しいなあ。あんたがおれと仲よくしてくれたら、おれにゃ、そいつが、
すばらしいものに見えるだろう。金色の麦をみると、あんたを思い出すだろうな。
それに、麦を吹く風の音も、おれにゃうれしいだろうな・・・・・・」


多くの友人や知人からたくさんの温かい思いやりのこもった言葉を受け取り続ける中、
たまたま居合わせた場所で、見知らぬ人が、日本人と知ってか知らぬか、
(少なくとも東洋人がその場にいるということは分かったはずだけど)
この大災害や日本人の行動に対して否定的と取れる発言をするのを耳にしてしまった。
日本人(東洋人)がいると分かっていて、挑発したかったのか、
それとも、単に空気を読まない、気配りのない人なのかは分からないけど、
悔しさが胸をえぐった。

その黒いしこりはもやもやとして数日わたしの中に残っていて、
後にその出来事を、数十人イタリア人が集まるところで語ってしまった。
説明する中で、キツネの話のようなことが思い浮かんだ。
もし、彼がわたしを知っていたり、もしくは彼に日本人の友人や知人がいたら、
そんなことを口に出さなかったのではないだろうか?と。


周囲のイタリア人や外国人は、
「身近にいる日本人」のわたしたちを通して、日本にメッセージを送り、
また、海外のメディアや文献から汲み取ることができないことを知る。
一方、日本人の知り合いがいない人は、こちらで得られる情報だけで、
ものを判断するかもしれない。

日本語で読める/見られるニュースと
イタリア語(その他)で読める/見られるニュースを比べ、
こちらで伝わってない日本のことを、こちらの人に伝えることができる。
誤っていることを正し、必要とされていることを伝えることができる。


自分が今できることとして、日常生活を営む中で、
公の場に出るなり、家にいても通信手段を通して、
そういうことを伝えなければ、伝えたい、と思う。


復興には多額の金額、多くの支援が必要。


義捐金への呼びかけに協力していただいたり、
義捐金を申し出てくれる友人がいたりする中、

こちらで流れない日本の日常生活レベルの情報でも、
日本人の気持ちや行動でも、多くの人に知ってもらうことが、
気持ちを募金など具体的な形で表すところまで持っていく後押しになったり、
これからも日本を訪れたり、日本の商品の購入につながれば・・・と思う。


Solidarieta’という言葉、2年前のラクイラの地震の際に記したけど、
Bis(ビス)は、「アンコール、もう一度」の意。


遠くにいても、わたしたちの日本と日本の人たちを想う気持ちを届けたい。







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Posted byjacquelinege

Comments 2

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美香  

No title

いろいろと考えさせらる文章でした。
遠い異国からなんとかしたい!という気持ちがすごく伝わってきます。
私は仙台市内の内陸部に住んでいますので、今回は被害が少なく恵まれた環境におります。
まだまだ不自由な生活ですが、みんな復興に向けて頑張っていますよ。
ぽちぽち☆

2011/03/24 (Thu) 02:00

Jacqueline_ge  

No title

美香さん、ご訪問&コメントをありがとうございます!
お返事が遅くなってごめんなさいです。
お返事をする前に美香さんのブログの方に訪問させていただきましたが、優しいお人柄が文面に表れていて、ジーンときました。
余震や雪や物資の問題などなど、まだあって大変だと思いますが、
どうぞ、ご家族みなさまご自愛くださいね。
微力ながら、遠くにいても日本人としてできることをしていきたいと思います。
ポチポチ、ありがとうございました。

2011/03/30 (Wed) 21:36

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