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jacquelinege

Solidarieta’ bis ! - 東日本大震災に対して – (1)

3月11日(金)午後14時46分に発生した東日本大震災により
多くの亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、
この大災害により家を失い、避難されている方々、
自宅待機を余儀なくされている方々、
その他、影響を受けている全ての方々へお見舞いを申し上げます。
そして、みんなが一刻も早く安全で普通の生活に戻れることを心より祈念いたします。


わたしの家族や親戚、友人・知人の多くは東京・関東近辺に在住し、
確認できている限りでは無事でしたが、
日常生活に多少なりとも支障が生じているのは否めないでしょう。




3月11日(金)

朝から外出予定だったものの、
家を出る前にざっとメールチェックするためにPCを開く。

ニュースの見出しの中にチラッと地震の知らせを発見するも、
それほど大きいものではないものと思い、確認することもなく、
あわただしく家を出る。

出先に着き、

「日本で大きい地震があったみたいだよっ!」

と言われ、
先に見出しで見かけた地震が、普通のレベルではないことが分かり、
実家の父にすぐに連絡を取りたいと思ったものの、
アポイントの時間だったので、先延ばしに。。

その後、PCでイタリアの新聞のサイトのニュースや、そこに出ている映像を観せてもらって、
本当に尋常でないことを理解。

イタリア時間の午後、父に何度か電話をしてみるものの、なかなかつながらず。
ようやくつながったところで、やはり父の声が動揺しているようなのを感じるが、
とにかく大事はなく、少し安心。

最初の揺れの数分後に、東京にいる妹より大丈夫?という電話があったとのこと。
幼稚園から長女が帰ってきた後で、次女と3人で家にいた時に揺れを感じたものの、
家の家具などが倒れることもなく、損傷はほとんどなかったとのこと。

最初の揺れが来た時に、父はちょうど立ち上がったところで、
最初は自分自身の体が船に乗って揺れているように、
ぐらぐらと揺れているのかな?と思ったそう。

そのうち揺れが大きくなってゆき、
上からぶら下がっているライトが横に大きく揺れ、
棚に置かれた書類などがバサバサとくずれ落ちるのを見て、
自分だけが揺れているのではないことに気づいたとのこと。

揺れが治まってから家の中を見回り、
多少、物が落ちていたり、そのせいで割れていたものを片付け、
その後、どうしても郵便物を出しに行きたかったので、
3kmほど離れた郵便局に自転車で出かけた。
郵便局の近くのスーパーはがらんとして、人がほとんどいない模様。

帰り道、地区の民生委員の方とばったり会い、
「○○さん!さっきの地震大きかったですねー!大丈夫でしたか!?
ちょうど今、○○さんのお宅に寄ったところだったんですけど、お留守だったので・・・」と。

(父は一人暮らしですが、一人暮らしの高齢者[本人はそこまで高齢と思っていないようですが]や、
 高齢者夫婦のみの世帯などを時々訪問する自治体の係りの方がいるそうです。)


時差の関係もあり、すでに日本では深夜に入っているのと、
わたしも出先ということもあり、妹家族と弟にはメールを。

義弟(妹の夫)の携帯アドレスも入れていたので、
すぐに返事があり、みな無事との知らせ。
ただ、いつも以上にどこの道も渋滞の中、何時間かかるか分からないけれど頑張って帰りますと。
弟と連絡が取れていない件は、妹(彼からすると妻)に伝えますとのこと。


そして、翌日、図書館でメールを確認すると、
妹と弟からの「無事です」との返答を確認。
日本語で出ているニュースをネットで読み、
自分のPC使用時間が終了したら、イタリアの新聞を片端から読み進める。
それが、紙媒体になっている時点で、
すでに情報としては時差があるとは思いつつも。
衝撃的な写真や文章に胸を締め付けられ、
公共の場であっても涙が流れるのを止められない。
周囲の(知らない)イタリア人たちも状況を察してか、
心なしかわたしに新聞を譲ってくれている気がした。

この時点で、自分の家族は無事ということは分かっていたけど、
家族や知っている人がどうというより、
自国を襲った残酷な出来事に心が痛かった。


続々とイタリア人や外国人の友人・知人たちから、
わたしの家族や親戚、友人への安否やわたし自身を気遣ったり、
日本という国に対してのお見舞いの
電話・メール・メッセージ、直接の言葉が届き、そして、今も続いている。


月曜日には、仙台にいる(いた)友人たちの無事も確認できた。
ただ、やはり震源地(に近い)だけに、関東の状況より深刻。



周囲の人が直接、もしくは人づてに、
わたしに対して “Come stai ?” (元気?/気分はどう?)と聞く。

日本語(日本人どうしの会話)では、
毎回人に会うたびに相手の健康や気分について、
(例えば、毎日、学校や職場で会う人に、毎回「元気?」とは聞きませんよね?)
こういうフォームで尋ねないので、日本人どうしだったら、
この状況下では、「大丈夫?」とは聞いても、「元気?」とは聞かないだろう。

自分自身が被災したわけでもなく、家族なども無事なのに、
「元気でない」と言うのは、本当に困難に立ち向かっている人に申し訳なく、
だからといって、笑って「元気」と言うのも何かが違う。

避難生活をしている人たちへの食料が足りなく、
1日おにぎり1個に、ビスケット少々とか聞き、
何か食べるたびに、申し訳なく感じたり、
普段以上に、その味のありがたさをかみ締めたり、
複数のニュースにかじりついて、一食抜いてみたり・・・

アフリカやアジアや世界のどこかの国では、
日常的に食べられない人たちがいて、
でも、普段は上記のようにまでは感じないのは、
やはり、自国の人に起こっていることだからなのだろう。


中には、日常的に会う予定がある人たちに、
わたしが気持ち的に日程・プログラムをこなす気持ちであるか気遣われている。

でも、実際に日本で被災した人たちが、その翌日には困難の中、
仕事に行ったり、日常生活をこなそうとしているのに、
こんなに遠くにいるわたしが、気分の問題で日常プログラムをこなさないというのは、
日本人としては、やっぱり違うと思った。

わたしが日本から遠いイタリアで、
家に閉じこもって、災害関連のニュースを見ているだけでは、何も変わらない。


(次数制限により、2に続きます。)



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